第13話(2011年7月執筆)【故郷の言葉】
ある日、中央駅から乗った路面電車の車内でこんなことがありました。電車が走り出して間もなく、標準イタリア語とは全然違うけれど、かろうじてイタリア語の単語混じりの会話が私の耳に入ってきました。
外国語への好奇心の強い私は、思わず声のする方へ視線をやりました。すると、近くの座席にピエトロさんが座っていて、通路を挟んで隣の男性と話しています。
そういえば、奥さんは北部のベネトー州の出身だけど、ご主人はナポリの方と聞いたことがあります。『向こうも気づいてないなら知らんぷりしよう。』と、視線を戻そうとしたとき、なんとピエトロさんが、これまでに一度も見せたことのない笑顔で、しかも向こうから私に「グーテンターク」と声をかけてくれたのです。
予期せぬことに驚いて私の返した会釈は、きっとぎこちないものだったに違いありません。それからしばらく、私は二人の様子を見るともなく見てしまいました。恐らく同郷の知人同士なのでしょう。話に興じるピエトロさんの表情もジェスチャーも活き活きと明るく、私がこれまでに見てきた彼とはまるで別人のようです。だけど本当は、故郷の言葉で話しているこのときのピエトロさんこそが彼の素顔のはず。つまり私は、かれこれ20年以上も、彼を見損なってきたわけです。『たまたまこの電車に乗り合わせたのは、くじ引きにでも当たったみたい。』と、私はすごく得をした気分になりました。
降りしな、「さよなら、奥さんによろしく。」と、私は思い切って声をかけてみました。もしかするともう一度、ピエトロさんの笑顔が見れるかもしれない…と期待して。その結果は、みなさんのご想像におまかせします。
2011年7月10日
第13話【故郷の言葉】終わり
















