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ドイツだより

vol.14: ニック社訪問インタビュー

(右・以下緑字)ヨーゼフ・ヘルテンベルガー氏
1936年生まれ。エンジニア。ものを作るための工夫、技術改善や機器の開発に余念のない人。大病を克服し、「当分働いてはいけません。」との医師の助言に耐えられなくなった頃、ニック社の事業に参加。

 

(左・以下青字)ゲロルド・ヘルテンベルガー氏
1974年生まれ。《男に二言無し》の頼れるタイプ。登山やクライミング、冬はスキーと、山を愛する人。時にはリフトを使わず、用具一式をかついで、人っ子1人いない登山道を歩き下山はスキーと、冬山の一日を満喫することも。最高のアイデアが浮かぶのは、仕事のストレスをジョギングで解消しているとき。

 


さっそくですが、社の成り立ち、おもちゃ作りを始めたきっかけなどについて、お父様のヨーゼフさんにお話を伺いたいと思います。

 

元々私はおもちゃとは全く縁のない分野の人間でした。仲間と3人で食品包装用のフォイル工場を立ち上げたのが1960年代のこと。

会社は順調に成長し、80年代の後半には約100名の従業員をかかえるに至りました。
ところがその頃、私は心臓病を患いました。

幸い、当時先駆け的な技術で著名だったチューリッヒの名医を紹介してもらうにいたり、2度に渡る手術の結果、病を克服することができました。しかし医師からは「仕事のストレスから十分に心身を解放し、最善のコンディションで臨むのでなければ施術はできない。術後も仕事に復帰しないと約束しない限り、リスクの高い治療を行う意味がない。」と言い渡されていました。そこで私は会社を仲間に譲り、手術に臨み、健康の回復に専念したのです。しかし、いつまでも働かずにいるのは私の性分に合いません。そんな折、《乗用玩具、車のおもちゃ》や《スロープ系のおもちゃ》の製作を手がけていた男性と知り合い、技術面のサポートを引き受けるという形で、このパートナーとの共同事業に乗り出しました。

ニュルンベルクの見本市に初めて出展したのは1992年、翌年には積木《クビオ》の考案者から製造依頼を持ちかけられました。ところが諸々の事情があって、パートナーが事業から退いてしまい、その後、私が責任者となって継続することになりました。

 

そういったご苦労を重ねる中、社を支えたポリシーとは何だったのでしょうか?

 

どんなに時代が変わっても、高品質のおもちゃを求める消費者は必ずいると信じ続けたことです。

 

およそ20年の社史のなかで、2003年、ドールハウスの老舗メーカー《ボード・ヘニック》から製作を引き継いだことは一つの大きなターニングポイントになったように思われますが。

 

そうですね。

製作機械をすべて買い取り、社屋を広げるなど、かなりの資本を投じましたが、その後、一般にドールハウスの需要がぐっと落ち込んでしまったため、実は相当な打撃を受けました。他方、これをきっかけに社の《入れ物》を大きくしたことが、後にヴァルター製品の製作を始める格好の基盤となったのも事実です。

 


息子さんのゲロルドさんにとって、このニック社の後継者となることは自明のことだったのでしょうか?それともご自身の独自な職業的展望を抱いたこともおありですか?

 

『ニック社で』ということにこだわらず、『木を使ってものを作りたい』というのが私の職業選択でした。専門学校で大工、指物師(さしものし)の技術を習得し、兵役義務を終えて、マイスターの資格をとるための修行をしました。資格取得後、ニックで実習経験を積みましたが、その間に製造の全工程にかかわったのはもちろん、かなりの範囲で責任を負うことにもなり、社の全体が見渡せるようになっていきました。そんな経過を経て、『これが自分の天職だ。』と実感するに至ったのです。

 

そういった中、ヴァルター製品の製造を引き受けたことは、ゲロルドさんにって大きな挑戦だったにちがいありません。きっと、『ここはニックの腕の見せ所』と、意欲をもって臨まれたことと察します。

 

その通りです。だからこそ、当時のヴァルター社の社長、ペーター・ヴァルターさんという素晴らしい指導者に巡り会えたことにとても感謝しています。ペーターさんは、常に助言を惜しまぬかたわら、大きな信頼を寄せて私たちの努力を見守ってくださいました。困ったときにはすぐに相談に応じてくれ、私たちの新しい工夫や、工程上の変更アイデアにも、オープンに意見を述べサポートしてくれる、そんな理想的な指導者です。それだけに彼の信頼に応えようと、必死に、しかも自由な気持ちで取り組むことができました。

 

ニック社による継続が決まったとき、「これに勝る選択は考えられない。」と、ペーター・ヴァルター氏が満足の意を表されたのをよく憶えています。製造を始めた頃、具体的にはどんなことで苦労されましたか?

 

新しい塗装技術をマスターしなければならなかったことです。実際始めてみると、塗料の中に気泡が生じてしまったり、色のラインにむらが出て困りました。厳密さ、正確さが肝心な木製品の製作には十分に経験を積んでいた私たちですが、動きを伴うおもちゃのしかけでは、ごくごくわずかな狂いで仕組みが台無しになることがあります。パーツの組立てにもニックラインとは違う技術を要します。そして、何よりのプレッシャーは、時間が切迫していたことです。

 

私たちが製作を引き継ごうと決心した頃、ヴァルター社にはすでに在庫がないという状況でした。商品が供給されないので、国内市場では店舗からそろそろヴァルターの品物が姿を消し始めていました。そのうち、低価格、低品質の類似品がそれらに代わってショップの棚を占めるのは目に見えています。果たしてそのとき、ようやく復刻を果たしたニック製のヴァルターアイテムが、かつてのポジションを取り戻すことができるだろうか?…そんな不安に追われるような気持ちでした。だから一刻も早く、生産を軌道に乗せなければならなかったのです。

 

そんな状況で私たちに勇気を与えてくれたのは、他でもない日本の消費者のみなさんです。

ブラザー・ジョルダン社に提示してもらった過去の年間需要と今後の見積もりを見て、こんなに多くのヴァルターファンが待っていてくれると知ったとき、『これは成功する。成功させなければならない。』と決意を新たにしました。

 

そのように、自社製品以外のおもちゃの復刻や再生産にも多大な力を注いでおられるのはどうしてですか?

 

長い伝統に裏付けられたこれらの製品は、《ずっとあり続ける》というステイタスを獲得したものです。それはメーカーが決めることではありません。《長い歴史の中で消費者がその製品を選び続けてきた》という証です。そんな伝統ある真価を継承していくのは大変意義ある使命だと考えます。また、ヴァルターについて言えば、社の製品を取り入れたことによってニックのプログラムは豊かになり、いわば完結しました。ニックラインは主に1歳ないし1歳半以上の子どもたちを対象にしたもの、大型で堅牢な製品です。他方ヴァルターには素晴らしいベビーアイテムがある。ニックになかった小さな商品、繊細な形、楽しい動きのからくりを備えたおもちゃがあります。ですから、ヴァルターのベビーラインで当社製品の高品質に納得してくださったお客様を、1年後、或いは2年後に、ニックラインの顧客として獲得するというチャンスにもつながります。

 

 

新製品の企画やデザインは自社で行われるのですか?

 

大半はそうですが、社外から寄せられるアイデアを商品化した例もあります。また、ベビー用の新商品はヴァルターラインとして開発し、今もペーター・ヴァルターさんの監修を仰いでいます。

※(写真)新しい試みである『ビオ』塗料を使ったラトル

 


材料についてお伺いします。木材はどこから調達されるのですか?また、材料選びの上で、どんな点にこだわりをお持ちでしょうか?

 

オーストリアとスロバキア産のブナ材を主に使用しています。

原木を買うのではなく、うちの子会社でもあるスロバキアの製材所(左写真)にある程度の加工を依頼し、そこから木材を仕入れます。

実は元ニックの製造部長が製材所の女性経営責任者と結婚していて、名実ともに家族的な付き合いができる貴重なパートナーです。

 

私も月に一度は必ず現地の様子を見に行くことにしています。使用するブナ材は夏に伐採されたものに限ります。木肌が明るくてきれいだからです。そしてPEFCの認証を受けていること、つまり森林の保続利用を行う林業者から買い付けたものです。

 

  • ※PEFCとは林業関係企業・団体・個人、政府、労働組合、環境団体、その他のNGOやNPOなど多数の利害関係者(ステークホルダー)の参画に基づき、世界149カ国の政府が支持し、世界の森林の85%をカバーする持続可能な森林管理のための政府間プロセスをベースに、各国で個別に策定された森林認証制度の審査およびそれら制度間の相互承認を推進するための国際統括組織です。

 


ニック社にしかできない事、ニック社の誇りは何でしょうか?

 

小さな会社だからこその柔軟性で、顧客の皆様のご希望を製品に生かしていくことができます。誇りは、《優れた品質の木製玩具》という今のプログラムに忠実であり続けることです。

 

国内市場については、クリスマス直前の12月20日まで受注、発送可能な体制を敷いています。これこそニックならではと自負しています。

 


さて次に、日本市場をテーマにお話を伺います。日本市場についてどんなイメージをお持ちですか?

 

高品質を求める市場、とても厳しく批判的な目で品質を吟味する市場です。その代わり、メーカーが市場の期待に応え続ける限り、日本のパートナーも私たちを失望させることはない。だから、長く安定した信頼関係を築いていくことができます。そして、計画性に優れ、相互の効率と発展を尊重し合ったビジネスが可能なパートナー。それが私の印象です。

 

何か、日本市場への特別な取り組みなどはなされていますか?

 

ヨーロッパに比べ湿度の高い地域ですから、動きをともなうおもちゃのパーツ、からくり部分の《ゆとり》《遊び》を十分に持たせるようにしています。しかし、日本仕様、欧州仕様と生産ラインを変えるのではなく、
徐々に全てを日本仕様に合わせていきました。また《ムカデ》は、色の線が特に均一に着色できたものを選んで日本に出荷しています。

 

 

日本との付き合いで、驚かれたことはありますか?

 

《白木のアヒル》《帽子のアヒル》の翼の動きについて、日本のお客様からご意見をいただいたことがあります。これらの製品は左右の羽を交互に上下に動かしながら進みますね。ところがその方は、「鳥は両方の翼を、交互にではなく同時に上下させるものだ。」と指摘なさいました。よくこんなに細かく商品を観察しているなぁ…と、本当に驚きました。(笑)

 

(笑)でも、交互に動かすからこそ、あのヨチヨチ感がでるんですよね。

さて、ご一緒に笑えたところで、最後に将来への明るい夢をお父様に語っていただきましょう。

 

企業としての夢は、大会社になることではなく、堅実に健康に育っていくことです。この本社とスロバキアの製材所を合わせて、現在40名ほどの人々が従事しています。この人たちが定年退職し、メンバーが次世代に代わる頃にも、安定した職場を提供できる会社でありたいと願います。私個人の今後への希望は、みんなが安心して暮らせる時代に入ってほしいということです。テロリズムへの恐怖、不安定な金融や経済、とてつもなく大きな自然災害と、心穏やかならぬことが近年多すぎます。

 

自然災害と言えば、日本を襲った不幸に私たちも深く心を痛めています。逆にあなたに質問をして恐縮ですが、日本の原子エネルギー開発には、一部の政治家や企業人など、利益を共にする人たちの、いわゆるロビイズムによって推進されてきた面が見逃せないと聞きますが、そういったことはありえますか?

 

たいへん遺憾なことですが、事実そうだと思っています。そして、そういった権力が、この期に及んでも核エネルギーに固執し続けるとすれば、それは、…とても乱暴な表現と承知であえて言うのですが、国が民に武器をかざしているようなものだと思います。日本中の命を乗せてくれる箱舟はどこからも現れない。だから私たちは、私たちの国土そのものをみんなの箱舟と見て、守っていかねばならない。そう痛感しています。

 

故郷を、国土を、ひいては地球を、各人が愛情こめて大切にしていく。そんな将来が訪れることを私も願います。

 

私も同感です。

 

勇気の出るお言葉をありがとうございます。いつまでもお話していたいのは山々ですが、もうとても多くのお時間をさいていただきました。お二人に心から感謝いたします。

 

こちらこそ。今日はお越しくださって、ありがとうございました。

 

ありがとうございました。

 

vol.14『ニック社訪問インタビュー』終わり