Report

ドイツだより

vol.16: ナンヒェン社訪問

 ナンヒェン社のゼントケ夫妻は、旅行、森の散策、オペラやコンサート鑑賞、そして料理が大好き。
親しい友人夫妻3組で毎月1度集まって、ともに作り、ともに食べることを楽しむナナさん(左)とペーターさん(右)です。3件の家を毎月交代で訪ね合い、ホスト役の夫婦がその日のメニューをアレンジ、レシピを用意、買い物もすませておきます。
みんなが集まれば、それぞれがレシピを吟味、「私は前菜。」「メインは私たちで。」「僕はスープ。」

 

「じゃ私はデザート。」…と、6人それぞれが料理を分担するのだそうです。
「だから、比較的わずかな手間と予算で、毎月必ずレストランのコース並みディナーが楽しめちゃう。」と、ペーターさん。
「最後には洗い物もみんなですませて、ワイングラスだけテーブルに残しておしゃべりで夜をしめくくるから、ホストに全然負担がかからず、誰にも気兼ねがないの。」とナナさん。
そんな楽しい集いを始めて、なんと、かれこれ16年にもなるそうです。
ユニークなアイデアでライフスタイルも充実、そんな素敵なご夫妻にお話をうかがいました。

 


※黒字:筆者(谷本)、赤字:ナナさん、青字:ペーターさん

さっそくですがおもちゃのデザイン、製造、販売をするに至った経緯、きっかけ、社の歴史をお聞かせください。

 

私たち夫婦が出会ったのは、ミュンスターという街でデザインを学んでいた学生時代です。大学の初年度、デザインの基礎ともいうべき分野で、とてもお世話になった教授がシュテークマン(Stegmann)先生でした。そしてこの先生によく与えられた課題が《動きをともなう玩具のデザイン》。そんなことも影響したのか、そのうち同期の仲間たちといっしょに、小さな木製玩具の工房を開くに至りました。
当時(1970年代)のドイツでは、木製玩具の市場は決して豊かじゃなかった。そこで私たち6人の学生グループは、市場に不足している木のおもちゃを作り、職場の実体験を積み、さらに学費と小遣い稼ぎという一石二鳥ならぬ三鳥をねらって会社を興したのです。社はそのものずばり、《Werkstatt=ヴェルクシュタット:工房》と命名。
そうして1974年、ニュルンベルクの見本市にも初めて出展しました。

 

やがてグループの皆も学業を終えて、それぞれの道を歩んでいくことになります。ヴェルクシュタットは仲間の1人に任せることに決定し、グループ中の2名はおもちゃのデザイナーとして職につきます。
そして私たち夫婦は、カッセルの町に《Arche=アルケ:箱舟》という名の玩具店を開くことになりました。1983年のことです。

 

 

※アルケ時代に使っていたかまど

 

アルケではどんな製品を扱っていらしたのですか?

 

ヴェルクシュタットの製品の他、品質の高い木製玩具、地元のシュタイナー学園の需要にそった図画工作の材料と楽器などが主な商品でした。そして、ぜひお人形を…と思ったのです。
そこで、自分が心から売ってみたいお人形を探し求めた結果、私自身が娘や息子に作り与えたものを原点として、オリジナル人形を作り、売ることになったのです。
私の製品第1号は、ジョルダンの取扱商品でもある《NAベビー》に近いものでした。

 

ニュルンベルクに出展を始めたのは1992年。その頃にはアルケとの二足のわらじを捨てて、夫婦でナンヒェン製品のデザイン、考案、製作、販売に徹することに心を決めていました。

 

デザインや製作過程で、特に気を使っていることやこだわり、そしてお二人のポリシーは何でしょう?

 

オリジナルデザインと素材の厳選、この二点において妥協をしないことです。
また、社の理念に私たちが同意、納得しかねる企業とのパートナーシップは結べません。

 

 


それでは素材へのこだわりについて、詳しくお話しいただけますか?

 

詰め物の羊毛は、同じくジョルダンのパートナーでもあるウールマニュファクチャー社から購入しています。ご存知のように私たちの製品はオーガニックコットンとビオランドの羊毛が原料です。
さらにGOTSの認証を得ていることが、材料購入の条件となります。木製リング(カエデ材)やステンレスの鈴などの付属品はドイツ製、あるいはドイツで安全性を保証されたものです。

 

GOTSというのは…?

 

Global Organic Textile Standardというのが正式名称。この機関は、繊維製品の素材が有機農法から得られたことを証明するだけでなく、染色の原料や方法も含め、どこでどのように生産されたかをくまなく管理しています。さらに生産者の労働条件にも厳しい目を行き届かせています。

 

小さな子どもの手におもちゃを届けるのが私たちの務め。だから、素材から最終製品の完成に至るまでの、どのプロセスでも、誰かに過酷な労働条件を強いてはならないと考えています。
だって、どこかで誰かが苦しみながら作ったもので自分の子どもを育てたいなんて、決して誰も望まないでしょう?

 

責任ある生産者として、私たちがこれらの条件を重んじ、相応な価格を受け入れなければ、品質面でも人々の生活面でも、みんなの望むスタンダードは維持できないと思います。

 


かつてご自身のショップ、アルケでも「ぜひお人形を。」と思われたということですが、赤ちゃんや子ども達にとって、お人形が必要なのはなぜでしょう?

 

喜び、悲しみ、寂しさ、痛み、怒り、叱られたときの辛さ、…、小さな子が言葉で表すことのできない全ての感情を、お人形はすべて察し、感じ取り、子どもと分かち合ってくれます。

 

お気に入りのお人形を失くしてしまい、子どもが眠れなくなったという話をよく聞きますが、それも今挙げたことが理由なんでしょうね。
私たちの手元には、修理のためにお人形が送られてくることがあります。あるとき、小包の中にサイコロや積木などのおもちゃが添えられていたことがありました。「入院中のお人形が退屈しないように。」という子どもの心配りだと、お母さんが添えた手紙で分かりました。

 

※ある修理依頼の人形に添えられた手紙

 

家族の居るお家を去って、たった一人で《入院》しなきゃならない。物言わぬお人形のそんな痛みを察し、子どももそれに応えているんですね。

 


ナンヒェンさんのお人形をお持ちのお客様にまつわる、楽しいエピソードは他にもたくさんあるに違いありませんが、ナナさんご自身がとても嬉しかったのはどんなことですか?

 

あれは1990年代だったはず、ニューヨークの見本市に出展した時のことです。あるアメリカ人女性が私に近づいてきて言うんです、
「私が小さかった頃、どんな時にも慰めてくれたのはナンヒェン・ドールだったの。大人になった今、その作者にこうして対面できるなんて思ってもみなかったわ。ありがとう。」って。涙さえ流しながら…。

 

こんなに子どもたちを愛し、子どもたちに愛されているナンヒェン人形たちの誕生の瞬間をぜひ知りたいです。デザインやアイデアが浮かぶのはどんなときですか?

 

お人形の顔を描いているときです。工房では5名の女性が2部屋に分かれて作業を行っています。
その片方の部屋に私の仕事机があって、そこで人形の顔を描く作業をしています。集中力を要する仕事である上に私のインスピレーションの源でもあるので、どちらの部屋でも、作業中の私語は一切慎むようお願いしています、その代わり出勤直後の15分と退社直前の15分がみんなのおしゃべりタイムです。
アイデアはスケッチにして残すのではなく、全て頭の中に保存します。

 

それを元に、お客様からの新商品へのご希望、新年のニューアイテムなどのニーズに応じて、プロトタイプの製作に入ります。原案を具体化する時点で、おおよその大きさから色の組み合わせまで、私の頭の中でほとんどイメージが出来上がっています。

 

それほど綿密なプランを、メモの一つも残さず全て頭で管理?ペーターさんもそうですか?

 

いえ、私はナナとは対照的にスケッチ派です。手を動かしながらイメージが育ち、原案が完成に近づいていくタイプです。

 


さて、少し話題が変わりますが、ドイツ、ヨーロッパ市場の実情をどうご覧でしょうか?

 

ユーロ圏の経済危機というテーマが、毎日の新聞やテレビの報道で話題にならない日はありません。それだけに一般的にも消費は停滞しています。
特に今年の後半に入ってから、その傾向が顕著です。

私たちは小さな会社ですから、売り上げが伸びればそれなりに、下がれば下がったなりに対応していくことができるので、今のところ大きな打撃は受けていませんが。

 

日本の市場をどう感じますか?ヨーロッパ市場と日本市場との違いを感じることはありますか?

 

私たちには、日本の市場の中でも、私たちの製品を選んでくださる皆様のことしか分かりません。そこに焦点を絞って語るなら、次のことが言えるでしょう。
日本の消費者の方々は、ドイツの消費者以上に《高品質》への意識、要求が高いと思います。
そして《いいもの》に慣れていて、目が肥えています。そんな皆様に私たちの製品を選んでいただけるのをとても嬉しく思っています。

 

日本に話題がおよんだところで、日本のお母さんや子ども達へメッセージをお願いします。

 

子どもが本当に子どもでいられる-そんな時間を少しでも長く持たせてあげてほしいと願います。これは世界中のお母さんに伝えたいことです。
学校の成績にこだわりすぎないで!子どもが子どもでいられるためには、学校より、点数や成績より大切なことが、日常の中に山ほどあるんだから。
たとえば家族みんなで食卓につく時間。
みんなで食べる、分け合う、おしゃべりする…この貴重な時間を毎日持つことが、今ではむしろ稀になっている家庭が多いのが気になります。

 

 

またしても「食べる」ことに話が行きつきましたが(笑)、みんなで食事を楽しむ時間は本当に大切だと思います。
「お行儀よく座っていなさい。じっとしてお上がりなさい。」など、あまりうるさく躾けすぎて、家庭での食事にまつわる楽しい思い出を損なってしまうのも考えものだと思います。

 


ナナさん、ペーターさんご自身が子どもの頃好きだったおもちゃ、思い出のおもちゃはありますか?

 

私自身は満足なおもちゃなどなしで育ちました。男兄弟6人に囲まれて大きくなった上、実家の地所が大きかったので、いつも庭を駆け回ったり木登りしたり…、自然を相手に男の子並みに遊んでいました。だけど、どこかしら自分にも女の子らしさがあったらしく、枕を背中にくくりつけて赤ちゃんをおんぶしているつもりで、兄弟に混じって暴れていたんです。

 

まぁ!とてもたくましい、お人形のママだったんですね。
実は私も、よく兄の真似をして遊びました。あるとき、おもちゃの刀を腰に差して予防注射に行ったら、「このお嬢ちゃんは勇気があるね。」と先生に言われましたが、本当は注射が怖くてたまらなかったので武装して行ったんです。
では、本物の男の子、ペーターさんはどんな遊びが好きだったんでしょう?

 

私はもっぱら積木。幾何学的な形を組み合わせてものを作るのが大好きでした。

もしも、もう一度違う仕事に就くとしたら、何をやってみたいですか?

 

デザイン、製造、販売と、社にかかわる全てを手がけてきましたから、私たちの仕事はとても多岐に渡ります。だから、職業的にとても満たされていて、何か他の仕事についてみたいと願ったことはありません。

 

孫(左写真)と接するようになってから、新しい経験や驚きがいっぱい。
「子どもから学べることがこんなにたくさんあったんだ。」と実感しています。いずれ、この経験を活かした製品作りをめざしたいですね。
たとえば絵本。本の内容に則して、実際に手にとって感触を得たり、遊んだりできるナンヒェンの布製品と抱き合わせて製品化すればおもしろいでしょう?

 

これが私の将来の夢です。
だけど、こんなプロジェクトを実現させるには、いずれナンヒェンという会社を後継者に任し、デザインやアイデアだけを提供できる将来がくること望んでいます。ナンヒェン社は、私たちの3人目の子どものようなものですから、安心して託し、見守っていけるパートナーが現れてくれることを願っています。
それが私たちの将来への希望であるとともに目下一番の心配事です。

 

お2人の末っ子《ナンヒェン》が、どう歩んでいくにせよ、完全にご隠居さんのペーターさんとナナさんって、私には想像できません。
これからも素晴らしいアイデアの数々が生まれ、この工房から旅立っていくこと、子どもたちと色々な気持ちを供にしてくれることを楽しみにしています。
今日は楽しいお話をありがとうございました。

 

vol.16『ナンヒェン社訪問』終わり